普通の人間になりたいひとのブログ

AC(アダルトチルドレン)な自分と向き合いながら、できる限り日々楽しく。生き辛い心を客観的に記録するブログです。

ジョギングが不安を解消させる

普段から頭でっかちになりがちな性格です。気がついたら周りのいろんな物事にイライラしたりくよくよしたりしてしまう。いちいち考え過ぎてしまうんです。

 

そんなんだと旦那にも迷惑をかけてしまいます。近くにいる人間がドヨーンとしてたら、一緒にいても面白くないだろうな…と申し訳ない気持ちになりながら、でもなかなか性格を直せない。


そういう時は体を動かすのが一番です。

私の場合外に出て黙々と走ります。すると不思議と気持ちが軽くなって、嫌な気持ちに囚われていたのがどうでもよくなるんです。

 

 

好きな漫画の一つに「パタリロ!」があるんですけど、ある話でマライヒが敵に囚われて洗脳されてしまうんですね。それをバンコランが助けに来るんですけど、マライヒは全ては無意味だとか何とか言ってふさぎこんでいる。で、業を煮やしたバンコランが「頭でっかちになっている時は余計なエネルギーが思考に偏ってしまう、そういう時は体を動かしてエネルギーを分散させるんだ!嫌でも運動させてやる!」みたいなことを言ってマライヒを無理矢理ベッドに押し倒して事に及ぶシーンがあるんです。


手法はともかく(^_^;)、バンコランが言ってることって間違ってない気がします。


体を動かしているととにかく疲れるので、余計なことを考える暇がないんですよね。ジョギングも、目に入る景色と自分の荒い呼吸が全てになります。
今を生きてるって感覚になります。


旦那にも「走ったあとは表情が明るくなるね」と言われます。普段は疲れ切っててゾンビみたいになってるらしいです。ゾンビて。

 

30分くらい走るだけでその日のイライラや鬱憤がどうでもよくなり、健全になる(しかもタダで)!
1日24時間のうち30分を費やすだけで残りの時間が快適になると考えたら、ちょっとやってみようと思いませんか。

 

とりあえずラフな格好で外に出ることから始めてみましょう。外に出れたら目標の半分は達成です。ここがいちばんのハードルだと思います。あとは何かしら体を動かしたら良いだけですから。


ジョギングが苦手ならウォーキングや縄跳びでもいいと思います。


終わったあとはヘトヘトになりますけど、達成感があってその後のお風呂がとても爽快ですよ。


頭でっかちになりがちな人はぜひおすすめします。

 

 

 

義務感との戦い

私の悪い癖のひとつに「なんでも義務化しちゃう」というのがあります。

 

旦那が「アイス食べたいな」と言ったら

「私は今日中にアイスを買いに行かねばならない!」

と、頭の中で義務にしちゃうんですよね。アイス買ってタスクを完了せよ。

 

そんな感じで「やらねばならぬリスト」を勝手に増やしてどんどん自分を追い詰めてしまう。当然、自分のペースでやりたい事が出来なくなって、勝手にストレスを溜めてしまうんです。

で、爆発する。

 

旦那はただ「アイスが食べたい」と言っただけ(買いに行けとは言ってない)なので、なぜ私がストレスを溜めて爆発したのかが分からず混乱してしまいます。そりゃそうだ。

 

「じゃあアイス買ってきたら?」とか、「一緒に買いに行こうか」とか、言えたら良いんですけど、なかなか言えないんですよ。「私が買いに行きさえすればひとつ用事が終わって相手からの要望も消化され、平和になる」と思っています。だから何が何でも用事は終わらせないといけない。

自分のことをないがしろにしてでも相手の要望に応えることで、自分を認めてもらいたい&面倒なことは起こしたくないっていう子供の頃からの歪んだ考え方があるような気がします。

 

でも無理に一生懸命になっても、健全ではないですよね。結局爆発しちゃうし。

 

だから、今までの自分に少しずつ反抗するようにしています。

アイスひとつ買えなかったところでどうってことない。っていうか食べたかったら自分で買いに行け。ついでに柿の種も買ってきて!

 

って自然に思えるように、頑張ってます。

こんなの頑張ることじゃないんでしょうけど^^;;

うっかり実家に行った日の話

自分がACであることを自覚し、個別カウンセリングを受けて、ようやく過去の出来事や親に対する気持ちが冷静に捉えられるようになった…と思っていたが、甘かった。

 

用事があって実家に行き、特に断る理由もないから一緒に晩御飯も食べたのだが、そこで父親が酒を飲むと言いだした。

父親はもう80後半の、認知症脳梗塞もやって軽く麻痺を患う立派な介護老人だ。
しかし飲むのである。

昔から酒でしか自分の居場所を作れなかった父親は何でも酒を飲む口実にする。楽しい、悲しい、腹立つ、寂しい。そしてそんな自分を慰めるために飲む酒は自分にとって必須アイテムであり、私は飲んでもいい人間だ!仕方ないのだ!と堂々と開き直る。

 

今日の飲む理由は「私が久々に実家に来たから」。私は父の方を見ない。酒を飲む父親は大嫌いだし、父親もそのことを知っている。知っているからこそうだうだ言い訳を並べながら飲む。父親自身もそんな「何かにつけて飲む自分」を私に理解してほしいのだ。

母親も諦めているのか、酒を飲む父親を止めようともしないし、むしろ「もう一杯くらいなら」とちょっと勧めたりする。


子供の頃から繰り返し見ていた光景だ。いくら「やめて」と言ってもやめてくれなかったあの時と同じ。胃が締め付けられ、ご飯が喉を通らない。最近の実家との関係は比較的平和で、直接的な害も減ったので、少しくらいならと長居したのがまずかった。やはり何も変わっていないのだこの家は。毒される前に早々に実家を後にした。

 

帰り道で子供の頃の自分が泣いている。大人の自分が大丈夫、大丈夫と慰める。逃げたくても逃げられなかった頃と違って、今は逃げることが出来るし無理だと思ったら関わらなくても良い。だから大丈夫。

現に少し間を置いたら気持ちが幾分軽くなった。今までは自分の家に着いた途端寝込んでしまっていたので、私にとってすごく大きな進歩だ。

私の実家とはこういうものなのだ。安全で穏やかな場所なんてどこにもない。でも自分自身は自分の手でいくらでも変えられる。そう信じるしかない。
悲しいけれど、すごく寂しいけれど、自分の居場所は自分で作っていくんだ。

会話を面倒臭がらない

人と会話するのが下手だ。
具体的に言うと、一度言って相手に分かってもらえないと、すぐに会話を諦める癖がある。
どうやら「これ以上説明するの面倒臭い」「自分の事わかってもらえなくてもいいや」という思考になってしまうみたい。

一時「もういいよ」が口癖になっていたことがあって、これは相手を相当突き放す印象があるらしく、たしなめられたこともある。

仕事ではそんなことないのだが(むしろよく話す方だと思う)親しい間柄になればなるほど「これ以上言って分かってもらえないんだったらもういいや面倒臭い」となり、言い返されたり意見が食い違ったりするとさらに「あーもういいもういい」となる。

深く踏み込んで自分が傷つくのが怖いんだろうか。わかってもらえないことが怖くて逃げてしまうんだろうか。

ともかくこれじゃいけないなと思って、最後まで自分の思ったことや感じたことを言う努力をしている。
言い返されたり食い違う時は「ちょっと待って、ひとまず最後まで聞いてくれる?」と勇気を出して言ってみる。

会話を面倒臭がらずに、最後まで話して、最後まで相手のことを聞く。
少しずつ、相手との距離が縮まるような気がする。

負の感情を持つ自分にマルをあげてもいいんだ

最近心身ともに調子が悪い。
職場で鼻につくこと・いけすかないことが多々あって、それを消化しきれなくて、正直今は誰にも会いたくない気分だ。

こんな時、南海キャンディーズ山里亮太さん(山ちゃん)が日々書いているという「日課帳」のことを思う。

 

日課帳」とは山ちゃんが仕事で日頃募らせている鬱憤を書き溜めている毒満載のノートのことだ。
テレビで実物を見たのだが、相当なパワーワードが並んでいた。

f:id:homurablog:20180420000525p:plain殺したいヤツとの戦い方をしっかり考えろ

 

f:id:homurablog:20180419235608p:plain
嫌いなやつを殺すのは、相手の粗を探すことじゃない
ムシして努力することだ

 

f:id:homurablog:20180419235917p:plain(わざわざ文字起こしするのもアレなので、各自お読みください)

 

芸能界で生きていくためには大変な努力がいるのだと思う。縦社会が厳しい業界だし、一般社会なんかよりえげつない扱いや足の引っ張り合いもたくさんあると思う。
だからってこんな悪口や自分への叱咤をめちゃくちゃ書き溜めている(しかも公表する)ということを知って、ちょっと笑ってしまったというか、ほっとしたというか、一気に親近感がわいたのだ。


あ、悪口って言って良いんだ!って。

 

もちろん他人に向かって実際に言うのは良くない。
だけど自分しか見ないところで言ったり書いたりするのは自由だ。
私は今まで「悪口を思うこと自体が悪」だと思っていた。嫌だな、不快だなと思っても、「そう感じる自分が悪いんだ」と思ってしまって、すぐ自分の感情に蓋をしがちなところがあった。

「それは嫌です」と表明して他人と揉めたくない・他人から悪く思われたくない。

だからなるべく自分の感情を抑えることで平和を得る術を、子どもの頃からなんとなく身につけてしまっていたのだと思う。

感情を抑えているとそのうち、自分の気持ちに鈍感になっていく。特に負の感情がわからない。悲しいのか、寂しいのか、怒っているのか、わからなくなる。
だけど消化出来ない気持ち悪さは残るから、後で唐突に感情を爆発させて相手を戸惑わせたり、うまく言葉にできなくて悔しい思いをすることがたくさんあった。

 

山ちゃんの日課帳のように、その時感じたことを書き記すのは自分の感情と向き合うのにとても良い策だなと思った。
このブログも自分の気持ちを客観的に書く訓練として書いているのだけれど、どうしても人に読まれることを意識しているので、文章にしなきゃという思いが湧く。
日課帳はもっと個人的なツールで、自分さえわかれば良い。

負の感情を持つ自分にマルをあげても良いのだ。

自分がアダルトチルドレンだと自覚したきっかけ

自分がACだと自覚してからだいぶ年月が経った。5年くらいだろうか。

きっかけは父親の酒癖の悪さが最高潮に達して、毎週警察や救急から電話が掛かってくるようになったことだった。母親も精神的に参って酒に逃げたり、夜中にも関わらず私に電話してきたりするようになって、「これはまずい」と、アルコール専門外来のある心療内科へ母親と一緒に行くことにした。

父親本人はそんなところへまず行かないので、同じ境遇にある家族たちが順番に自分ちの問題を告白していく家族ミーティングに私と母親で何度か参加していたのだが、そのうち母親が居心地の悪さを感じて途中で止めると言い出した。

一緒に問題を解決しようと決めながら、母親が自分の都合でさっさと離脱していつの間にか私だけが頑張っていた、というパターンは今までにも数多くあったので、「ああまたか」くらいに捉えていたのだが、その時の担当カウンセラーの人は私と母の関係を見抜いていたらしく、声をかけてくれて以後は私が個別カウンセリングを受けることになった。

 

父親の問題を解決しにきたつもりがいつの間にか私の問題を解決する場になったのだった。

 

カウンセリングは目からウロコで、父親に問題があるとばかり思っていたら、実は母親にも問題があって、この二人の間で私が子どもらしい子ども時代を送れなかったこと、安全基地を作れない家庭環境だったことなどなど、
今まで当たり前だと思っていたことが実は当たり前じゃなかった、ということを初めて知った。

あの時親から受けたあの言葉やあの態度。心に抑え込んでいた理不尽な出来事。
それが全部腑に落ちて、カウンセリングのたびに私は毎回泣いていた。

 

それまでなんとなく「自分はACってやつなんだろうなぁ」程度の感じから、自分がACになった仕組みをはっきり知ったことで、「じゃあどうやってこの生きづらさを解決しようか」「どんなことを心がけたら良いか」と目標と対策を具体的に考えることが出来るようになった。

・私と親は運命共同体ではない。
・親の責任や責務を私が肩代わりする必要はない
・親に愛を求めるこだわりを捨てて、自分で自分を愛する努力をする

といった考えも持てるようになった。
今まではこんなことを考えるとただただ親への罪悪感しかなかったが、「あんな人たちに遠慮することないな」と思えるまでになった。

 

反面、「それでも親に愛されたい」という願いはどうやら無理らしいということが判って寂しかった。
そしてどうやったら自分を愛せるようになるのかはまだ解決していない。自分を許せなくて今も苦しい。

「自覚」のコーナーをクリアして、今は「克服」の面を必死に攻略しようともがいている。
どんな風に攻略しているかは、また次の機会で書いてみようと思う。

 

 

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断捨離

スマホをそろそろ機種変しようと思い、せっかくなのであまり使わないアプリを整理しているうちに、パソコンのブックマークや登録して放置していたwebサービスも整理したくなって、過去を振り返りながらちまちまと削除している。

 

私にとって過去の自分と向き合うのは辛い作業だ。楽しいこともたくさんあったはずだが、ネガティブな経験ばかりが記憶に残っている。

過去の恋人との写真、生きづらくてもがきながら書いた自分の文章、不安を打ち消すために山ほどブックマークした様々なwebサイト。
頑張って過ごしていたあの頃を褒めるような気持ちで、懐かしく思いながら、容赦なく消す。

もともと整理整頓は好きな方で、スイッチが入ると未練なく捨ててしまう性格。モノを捨てると自分の中の澱が消えて無くなる感じがして、身も心もすっきりする。

 

そんな中このブログのことを思い出した。頭の中のもやもやは文章にすると整理されて良いらしい。そんなことを聞いて立ち上げたものの、すぐ飽きが来て放置してしまったブログ。最後に更新してからもう1年半も経っている。
記事が3つくらいしかない有様だけれど、当時の私は一生懸命自分の頭の中を整理して書いていた。

 

「頑張って書いてるじゃない」
このブログはなんとなく残そうと思った。

私の状況は当時より少し変化したが、ACや生きづらさなど相変わらず課題は残っている。加えて、新たな課題も生まれた。
また、気が向いた時に書こうと思う。